「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。 そうすればきっと与えられます」ヤコブ1:5

私たちが常に求めるべきは、「神の知恵」である。「知恵の欠けた人は、惜しげなく、とがめることなく与えて下さる主に願え」と。特に、試練の時に必要なものは、神の知恵だ。試練の時には、この試みにどう対応すればよいのか、この試練をどう捉えればよいのか、どう考えればよいのか、ここが大切だ。

 

ここで、まず主に祈り、知恵を求める事が一番重要だ。しかしどうだろう。しばしばこの所で失敗してしまう。主が飛んでしまい、試練に向かうのに、世の価値観、自分の思い、これまでの経験値で事に当たってしまう。それが深く身について、培われているので、自然にしていると、肉はそのように動いてしまう。

 

すると主の御心と反対方向へ向かってしまい、全く損なわれてしまう。どうしてよいかわからず、しかし自分の肩にすべてがかかり、苦しくてたまらない。落ち込むばかりだ。そして決して実を結ぶ事が出来ない。特に困難や問題に当たる時、主は知恵を与えて下さる。どうしてよいかを教えて下さる。そのためまず祈り求めよと。

 

問題が起きて、不安と恐れに襲われると、真っ暗になり、パニックになってしまう。しかし主の知恵は、「立ち返って」「静かにせよ」「主を信頼せよ」「そうするなら救われ」「力を得る」と。まず主に祈る時、視点が主にあり、この世の価値観でなく、御言葉の価値観に立つ事になる。そして御言葉に従う時に、事態が確かに導かれて行く。

 

・・・・・・・・・・・・

試練の時に、大切な事が、この試練を通して何を教えて下さっているのか、主からのメッセージは何かということだ。惜しげなく教えて下さるので、主に願おう。試練は痛いが、主のお心に触れ、知れる時、慰めと主の平安を経験する。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係