「しかし、主よ。私は、あなたに信頼しています。私は告白します。 『あなたこそ私の神です』」詩篇31:14

あなたには信頼できる相手がいるだろうか。例えば、その相手と待ち合わせをして、時間が過ぎても来ない場合、どうだろう。もしや突然の何らかの急な事情が起きたと、思わないだろうか。だまされた、裏切られただの、見捨てられたなどと思うだろうか。決してネガティブに動かない。

 

疑うどころか、むしろ何かあったのではと、相手を心配する。なぜか。そこに信頼関係があるからだ。相手は、良い事こそすれ、悪い事をするはずがない。又、友人が失敗したならどうだろう。頭ごなしに責めるだろうか。そこに何らかの事情があるはずと、まず相手から聞こうとするのではないか。友人を信頼しているからだ。

 

又、相手も信頼してくれるから、心を打ち明け、話すことができる。信頼関係がある時、そこに平和と安らぎがある。安心し、リラックスして語らいを楽しむ事ができる。信頼関係が無ければ、心をガードし、警戒と緊張状態だ。主を信じる者も同様だ。罪の暗闇から、御子の支配下に移され、罪赦され、主の愛に囲まれている。

 

主の血潮のゆえに罪赦され、御父との関係が正され、平和を持つ。主との間には、根底に無条件に愛されている安心感がある。主と私たちの間は、雇用関係でなく、愛と信頼関係で結ばれている。そこには安堵と喜びがある。

 

何が起きても、主の主権と支配の中であるので、信仰的に、前向きに、肯定的に捕らえて行く。それが信頼だ。どんな状況でも、主の愛は決して変わらない。ご計画があり、益とされる、そこに立っていよう。心が動揺し、思い煩う時、今一度、立ち返ろう。------------

主との強い絆があるから大きな試練、小さな試練も、あなたこそ私の神と、望みを持って超えていける。主の励ましや導きを、具体的な生活の中で感じ受けとれる。不安を押し返していこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係