「あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい」Ⅱペテロ1:5

続いて「これらを備えていない者は、近視眼であり、盲目であってとある。「近視眼であり、盲目」とは、遠方を見る事が出来ないことだ。それは、信仰の目で、目の前の状況や物事を見る事ができない。霊の目で見る事ができずに、肉の目で、肉的に事態を見る。

 

つまりそこに神視点が全く無くて、人間的な目だけしか無い。そうであれば、御霊の実を結ぶ事ができない。それなら肉の刈り取りがあるばかりだ。目の前に、突如の事態、試練や苦しみがやって来ると、ひたすら思い煩い、心配、嘆き、その堂々巡りだろうか。

 

主を通して、問題を見る事をしないので、問題に向き合えず、飲み込まれて、倒れてしまう。それはただ痛いばかりだ。アブラハムは同行の甥ロトと別れる事になった。その時、ロトに先に好きな土地を選ばせた。ロトは近視眼的選択をした。祈る事も、神視点もなく、ただ肉の思いで、自らの損得で動き、見た目に最も肥沃な潤った低地を選んだ。

 

その直後、主はアブラハムに臨まれ「あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫に与える」と。ロトが良い地を先取りしたのに「この地全部をあなたの子孫に」と言われた。結局ロトの選んだソドムとゴモラは堕落し滅ぼされてしまった。

 

ロトは肉で選択した。しかしアブラハムは祈り、主視点により、すべてを主に明け渡し、委ねた。神が下さるものを受け取った。その結果、全部を与えられた。近視眼でなく神視点に立てるよう祈ろう。

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明日の事を知ることは出来ないが、わからなくても主がおられる。問題と自分の間に主を据えていたい。信仰を働かせて、豊かに御霊の実を結実させよう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係り