「そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです・・しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、またあわれみと良い実とに満ち・・」ヤコブ3:15

神は、御心のままに私たちの内に、「~をしよう、~したい」との志を、思い(知恵)を与えられるとある。しかし気をつけるべきは、心に様々な思いが起きるが、神が思いを起こして、導かれるが、サタンも神を真似て同じ事をする。サタンはしょっ中、思いの火矢を吹き付けて来る。

 

又、肉の思いが、自分の内側からふつふつと湧き上がって来る。では、どれが神からの思いなのか。見分けるためには、とにかくよく祈ろう。祈りが大切だ。そして、心にあるその思いが、聖書全体の原則に合致しているか。神が、御言葉に反し、矛盾する方向へ導かれる事は決して無い。

 

必ず、神の御心は、御言葉と矛盾せず、合致する。目的のためには、手段を選ばないものも、神からではない。神から出たものであれば、目的も手段も正しく導かれる。又、神からの思いは、純真、平和、寛容、温順、あわれみ、良い実、えこひいきがなく、見せかけがない。人の徳を立て、人を祝福し、霊的成長に役立つ。

 

御霊は理由もないのに、人を傷つけない。又、神からの志なら、時間を経ても変わらず、むしろ強くなる。時をかける事で判断する事ができる。肉の思いつきなら、気分で変わるし、長く祈り続ける事ができない。その内忘れてしまう。重要な事柄であれば、よく時間をかけて祈ることが大切だ。

 

時間をかける事で、はっきりわかってくる。神から来たものなら、時を経ても変わらない。環境も合致して行く。導き手にも一緒に祈ってもらうと良い。御心なら、必ずそこに一致があり、共に平安が与えられる。

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神から来たものは、時を経てなお美しい。心が潤い、恵みの喜びに誰もが心から主を賛美できる。どこからの思いなのかよくよく主に明け渡し祈ろう。間違いやすい者だと覚えていよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係