「ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました」 1テモテ1:19

信仰生活には、信仰と正しい良心が大切だ。正しい良心を捨てるなら、信仰の破船に会うと言っている。普通、良心=正しいものと思うが、聖書には「正しい良心」と「邪悪な良心」が出て来る。神に創造された人間は、良心が与えられた。が、アダムからの罪で、人の良心は暗くなり、歪んでしまった。

 

神のようになりたいと、人間は自分の意志と判断で生きるようになった。それまでは、すべての判断を主に頼っていた。人間の判断は、その人の背景や価値観により異なって来る。そのため良心は麻痺もするし、又、同じ事をしても、良心の呵責を感じる人と感じない人が出て来る。

 

神無しでは、良心は自己中心的な判断で決まる。又、信仰者も間違った良心の呵責にさいなまれる。「弱い良心」とは、神は責めておられないのに、悪魔の責めを受け入れて、自分を責める。又、「邪悪な良心」は、主に全面的に赦されているのに、過去を気に病み、くよくよする。自分などはだめだと思う。

 

自己嫌悪や自己憐憫に陥る。しかしそれらは、すべて主の血潮によってきよめられている。「心に血の注ぎを受けて、邪悪な良心をきよめられた・・ですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか」。いろんな人がこの御言葉によって、過去のくよくよから救われた。

 

そして「良心は麻痺する」。良心の警告を無視し続けると、良心が麻痺して、機能しなくなり、とがめを感じなくなる。最も恐ろしい事になってしまう。御霊の導きに敏感でいよう。そして御霊の示しに従おう。御霊により、正しい良心が保たれる。

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自分の良心は自分の思い込みや都合で左右に振れていく。何が神の目に正しく、主は喜ばれるのだろうか。絶えず御言葉を通し、御霊の導きを聞きながら歩んでいきたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係