「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない」ヨハネ4:48

王室の役人の息子が、重病で危篤状態だった。その役人は主を求めて、カペナウムからカナに30キロの道のりを歩いて来た。主はなす事ができると思ったからだ。そうでなければ、はなから30ロも歩かない。主に、家に来て息子を癒して頂きたいと願うと「あなたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない」と言われた。

 

再度、どうか来て欲しいと願う。すると「帰って行きなさい。あなたの息子は直っている」と。息子の元に来る事を願ったが、御言葉を信じて帰るようにとの示しだった。私たちもどうだろう。しるしと不思議を見ての信仰だろうか。しるしを願っているかも知れない。幾多の奇跡を見たなら、信じる事が出来て、信仰が強くなるのではないかと。

 

目の前で紅海が分かれるような大奇跡を見たなら、信仰が強くなると思いがちだ。しかし主は、しるしを見てではなく、「主の言葉を信じる信仰」へと導かれたい。役人は「帰って行きなさい」と言われた。息子は直っているからと。主の言葉だけをもらい、その言葉を受け取り、信じて帰った。すると途中でしもべに出会い、息子の癒やしを聞いた。

 

主の言葉の通りだ。そして、良くなった時刻を聞くと、主が「あなたの息子は直っている」と言われた同時刻である事に驚いた。彼と彼の家の者が皆、主を信じた。主の言葉は100%成就する。主は、しるしを見ての信仰から、しるしを見ずとも、御言葉を信じる信仰へと、成長させて行って下さる。

 

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しるしと不思議ではなく、主の言葉を信じる信仰へと導いて下さる。見えているものに、信仰は要らないが、見えないものには、信仰が必要だ。主は信仰を培おうとして下さっている。いつもまず不信仰を認める時に、御霊が助けて下さる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係