「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることのできる方です」Ⅱコリント9:8

ある青年の証しだ。聖書の集いで、非常に恵まれて感謝が溢れて、主の愛を膚で感じ、形で表したいと、最後の集会で、財布を開けてバサッと全部を献金した。後の事は考えておらず、とにかく感謝が満ちて献げたかった。心からの喜びを持って献げ、献げた後も平安に満たされた。

 

礼拝後、帰りのバス代も無かったのだが、心が平安だった。すると、家が同じ方向の人が車で来ていて、一緒に帰りましょうとの親切な申し出。主の備えに、更に感謝が溢れた。別の人は、経済的必要のある、一人の人の事を強く示された。

 

御霊の強い促しを感じ、自分の経済状態の事も脳裏に来るが、主を愛するゆえに従いたいと思った。導きのままに財布の中身を全額を、指定献金で献げて帰った。心は喜びに満たされた。するとその帰りに、何と財布を落としてしまったのだ。御霊に従えて、御心を行えた事に心から感謝した。

 

もし献げなかったなら、財布を紛失してひどく落胆して、終わりだった。御霊の導きに、促しに従う祝福を強く教えられた。ある人は、示されるのだが、どうしても献げられずに、ぐずぐずしていた。そんな時、病院通いが続き、どんどん予想外の出費がかさんだ。

 

主を仰ぎ、日頃、健康がどんなに守られ、必要が満たされているかに、初めて思いが至った。感謝もなく、恵みを当たり前としか思っていない態度を心から悔い改めた。主は、何と溢れるばかりに、私たちに与えていて下さる事だろう。

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御霊の促しに自由に従えるのはなんと祝福なことだろう。主が御心のままに志も献げるものも備えてくださっている。そして献げた以上の恵みを主は返してくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係