主は、アブラハムにイサクを全焼のいけにえとして献げるよう命じられた。「神はアブラハムを試練に会わせた」と、はっきりと主からの「試練」だと言っている。それは実子であり、約束の子であるイサクを、全焼のいけにえとして献げよと言うものだった。主が、本当にそんな事を言われるのか?もしや自分の聞き違いでは?
だが普段から主との非常に親しい交わりに生きている、彼にはわかった。これは間違いなく主の御声であり、主からの命令だ。どんなに苦しい悶々の一晩であったろう。目に入れても痛くない最愛の息子だ。それも約束の子であり、イサクから全世界に子孫が広がる、その子が死んでしまったら、約束はどうなるのか?
しかしアブラハムは、深い祈りの中で、主はイサクが死んでも、よみがえらせる事ができると信じた。主を信じ、従う決断をした。彼の信仰だった。「翌朝早く」主の命令にすぐに従った。御心を確信したなら、即、従うのが良い。グズグズしていると、大きな祝福であるほど、そこに悪魔が来て、狡猾に妨害され、従えなくなってしまう。
主は、イサクの代わりに雄羊を用意されていた。私たちにも、主は必ず試練を与えられる。「愛する子を懲らしめ」と、懲らしめは主の愛だ。試練の中には「エホバ・エレ」、必ず主の備えがあることを覚えよう。
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主は必ず行く先に喜びと祝福とを備えていてくださる。何もわからない険しい山道だが、主を信じて導きに従おう。主は信仰をもって進んで行く者に必ず報いてくださる。