「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」ガラ テヤ6:7

神は、主イエスの十字架の血潮のゆえに、罪を赦して下さる。完全に赦して下さる。悔い改める時、二度と思い出さないと言われ、無罪放免にして下さる。しかしどうせ赦して貰えるからと、罪を犯してはならない。決して恵みを放縦に変えてはならない。そして罪は赦されるが、正しく刈り取りがある。

 

警察沙汰を起こした子たちは、施設でつらく辛く厳しい矯正訓練を受ける。親は、迷惑をかけた人々に謝罪して回り、破損は弁償し、あらゆる償いをして回る。大人も、傷害事件を起こした時、悔い改めるなら、完全に主は赦して下さる、しかし法律上の刑罰を受け、刑務所で償う事になる。 

 

又、憎しみや妬みで人を傷つけてしまったなら、悔い改めにより、主は赦して下さる。しかし一度壊れた信頼関係を取り戻すには、大変な労力が要る。罪のもたらす傷や害は、思っている以上に深い。罪の結果は、自分だけでなく、家族や周囲をも巻き込み、多大の悲しみ苦しみの傷を負わせてしまう。

 

決して罪をもてあそんではならない。弱い者だからこそ、罪から守られるよう、主に拠りすがり、祈っていよう。逆に御霊のために蒔くなら、御霊に従うなら、周囲の証しとなり、神の栄光が現れ、人々の救いにつながって行く。自分自身にも喜びがある。

 

御霊は私たちを導かれる。御霊の声に耳を傾け、肉にではなく、御霊の方を選び、御霊の導きに従おう。御霊の実を豊かに刈り取る。固い者なので心砕かれ、従えるよう祈ろう。

 

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蒔いたものを刈り取ると言われている。失敗したなら、悔い改めにより赦して下さる。赦されるとは、何という恵みだろう。刈り取りもまた、主が共におられ、主と共に刈り取って行く時、訓練とされ、多くの学びとされる。主のあわれみは尽きない。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係