「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:3

ある人が、主に在る友人と話していて、ある事で議論になった。双方意見が異なり、エスカレートしてしまい、自分が正しいと思うのをどんどん主張し、言い合いみたいになってしまった。ムッとなり、双方、気まずい空気で別れた。重苦しい心で帰宅した。

 

その夜は、教会の奉仕の準備があったのだが、心がずっしり重くて、平安が無い。祈れない。時間は過ぎるがどうにもならず、主への奉仕の準備など出来ない。とにかくあるがままを祈ろうと思った。平安がないこと、祈れないこと、準備など出来ないことを、正直に祈った。平安が無いからには、何かが御心からそれているに違いない。

 

すると、自分の心が見えて来た。議論になると相手を打ち負かしたい思いでいっぱいになり、負けたくない。自分の方が正しい、相手が間違っていると思っているので、どうしても高圧的な、攻撃的な言葉が出てしまうと。愛が無かったこと、へりくだりなど全く無く、高慢であったこと、聞く耳持たず、自己主張しかなかったこと、色々示された。

 

悔い改めに導かれた。悔い改めた時に、すっきりし、すう~と平安が拡がった。そして相手に謝りたいと思い、電話をして詫びた。すると相手も平安無く、祈った中で、謝る事を示されていて、双方で主に感謝し、御名を崇めた。平和が戻った。

 

その後、その奉仕の準備は御霊に導かれて、素晴らしい祝福の結実を見た。対人関係で平安が無いなら、祈ろう。そして和解が導かれているなら、仲直りをしよう。礼拝より前に、出て行って、兄弟と仲直りをする事が大切だと言われている。

--------------

自分が正しいと思うと、相手の事を思うより自己主張が先にきてしまう。なかなかへりくだれない者だ。主のへりくだりによって救われた恵みをいつも覚えていたい。主を仰ごう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係