「・・姉の名はレア、妹の名はラケルであった。レアの目は弱々しかったが、ラケルは姿も顔だちも美しかった。ヤコブはラケルを愛していた」創世記29:17

レアとラケルは姉妹で、姉のレアは、ずっと妹ラケルと比較し、嫉妬に生きてきただろう。ヤコブはラケルを愛していたが、父親により姉が先と、レアと結婚させられた。そのヤコブとの結婚によって、レアはますます劣等感が強くなった。ヤコブの愛をどれほど渇望しても得られない。

 

ヤコブの愛はラケルにあった。主は、そんなレアを憐れまれた。それでレアの胎を開かれた。「ルベン」と名づけ、主が悩みをご覧になったと言った。赤子誕生で、夫の愛が自分に向くに違いないと思った。しかしそうはならなかった。第二子のシメオン誕生は「主は私が嫌われいるのを聞かれて」とレアが主に祈った結果だった。

 

そして次々と産み、最後はユダ「主をほめたたえよう」と名づけた。どうにもならない苦しみの中で、主を見上げるように、レアは変えられて行った。自分の容姿を妹と比較して劣等感に悩み、夫はラケルを愛し、自分には気持ちが無い事で苦しみ抜いた。しかし主を見上げた時に、変わった。

 

レアの奴隷が男児を産んだ時は、アシュルと名づけ、「なんと幸せなこと。女たちは、私を幸せ者と呼ぶでしょう」と言った。私たちは何を学べるだろう。レアはずっと劣等感で生きて来て、夫の愛は妹にあり、どんなにあがいても得られない境遇にいた。満たされない、つらい、悲しく寂しい状況だ。

 

その中でレアは主に向き、主の愛と憐れみに目を向けて行った。主は、レアの不幸な境遇により、ご自身に近づけられた。私たちも、悩みや問題を通してこそ、主に近づけられ、主の愛を深く知って行ける。

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つらい現実の中で、確かに祈りに応えてくださる主のご臨在は、現実を飛び超えて大きな感謝に溢れる。目の前にある悲しみ苦しみを主に知っていただこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係