「主はモーセに仰せられた「あなたがたは、いつまでわたしの命令とおしえを守ろうとしないのか」出エジプト16:28

イスラエルの民は、主により苦難から救出され、後にも先にも無い驚くべき奇跡により、エジプトを脱出した。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ」と主を讃え、大喜びし、感謝した。だが荒野に出て3日歩いた途端、「水が無い」との不満に変わった。大感謝から、わずか3日後だった。

 

次には食物が無い、エジプトで死んだ方がましだとまで言う。主を信じている事が出来ない。主は天からマナを、夕にはうずらの大群を降らせた。このマナは1日分だけと命じられた。翌朝までおくと、虫がつき腐った。朝ごとに各自食べる分だけ集め、残ったものは溶けた。

 

主は「朝ごとに・各自・食べる分だけ」と定められた。これは信仰による従順だ。どうだろう。1日分だが、隠れて

翌日の分も、1週間先も、集めておきたい。もし降らなかったら? 主を信じないなら、そうしてしまう。主は来る日も来る日も、40年間、毎日毎日 マナで養われた。これは自力でなく、主により生かされるという事実を、身をもって教え込もうとされた。

 

「主により生かされている」これを心底知る時に、思い煩いから解放される。私たちもこれまでの40年マナを備え養い続けられたのではないか。主に信頼し、御声に従う訓練が私たちにも臨む。主の言葉通りに従う時に、主との信頼関係が培われ、深められて行く。

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なにか事が起きるとすぐに肉で反応してしまうが、そこから信仰の目で、望みをもって主に従っていきたい。今まで受けた豊かな恵み、それは今日も変わらない。主だけを見ていたい。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係