ある女性が証しした。「“わたしにとどまりなさい“”わたしを離れては、何もすることができないからです”とあり、主にとどまる事を日々の生活で教えられています」と。ある朝、疲れが取れないのか、身体がだるくて、家族の朝食を作るのが面倒でたまらなかった。
だいたい何で自分ばかりが毎朝作らないといけないのかと、サタンが来て不満、つぶやきを吹き込む。家事が重荷で、心身だるくて仕方が無い。だがその数日後、家族のために朝食を作り、洗濯物を干していて、讃美が湧き、平安と喜びで、幸福感でいっぱいだった。まるで違う。
ふと気づかされた。全く同じ場所で、同じ事をしているのに、片や不平不満、“ねばならない”重圧感、片や平安と喜び、幸福感・・同じ自分が天と地ほどに違い、主にとどまることの大切さを実感したと。
マルタとマリヤが出て来るが、マルタは主をおもてなしするために、料理や片づけ整えをしていたが、時間が迫り、焦って来ると、イライラピリピリ、思い煩いに襲われる。ふと見ると、何もしていないマリヤに腹が立つ。だいたい何で手伝っていないのか。何で自分一人忙しくせねばならないのか。
マリヤを責め、それを許している主を責める。主のための奉仕が何をしているかわからない、本末転倒だ。主を離れては、実を結ぶことがない。主が飛んでいたなら、すぐに主を仰ぎ、主に立ち返ろう。主にとどまろう。
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目の前ものに心はすぐ反応してしまうが、平安がなくなっている事に気づきたい。いつも主が共におられ、十分な恵みを注いでくださっているのではないか。主に祈り喜びを取り戻そう。