「・・突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞いた」使徒9:3

主イエスを否定するサウロは、主を信じるクリスチャンを憎み、激しい殺害の意に燃えて、迫害し捕らえ、投獄していた。それが神の御心であり、正しい事だと信じていた。エルサレムだけでは気が済まず、ダマスコにまで執拗に追いかけた。近くになった時に突然、天からの強い光に照らされ、彼は地に倒れた。そこで主の御声を聞いた。

 

「なぜ、わたしを迫害するのか」と。倒れた地面から起き上がった時、失明していた。サウロにとって、自分自身が根底からくつがえされる、大変な衝撃だったろう。その後3日間、盲目の状態に置かれ、飲食もせず、真っ暗闇の中で、サウロはこれまでの事を考え、今、起きた事を考え、これから先を考え、祈りに祈った事だろう。

 

サウロは「地に倒れた」時に、主の御声を聞いた。つまり主が倒されて、聞かせられた。私たちは全力疾走の時は、周囲の事は見えないし、自分の事も見えない。行き詰まる時、失敗した時に立ち止まる。私たちにも主は、止まらせるために、挫折や失敗、行き詰まりを通される。主のご計画があり、大きな祝福へとつながる。

 

又、今、暗黒状態なら、主は祈らせたいのでは。立ち止まって振り返り、現状を見据え、先について、祈りに祈ろう。「そこで、彼は祈っています」、サウロは真剣な祈りの中、アナニヤが遣わされ、見えるようにされた。「目からうろこのような物が落ち」、私たちも、暗黒を通過後、主がはっきりと、鮮明に見えるようにして下さる。

 

・・・・・・・・・・・・・・

私たちにも、愛して下さっているがゆえの取り扱いがある。立ち止まりの時、行き詰まりの時は、主に立ち返れる時、恵みの時だ。更に親しく主と歩むようにされる。主に近くされる。どんな時も主のご計画の中だ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係