「ユダの王ゼデキヤにも、私はこのことばのとおりに語って言った 『あなたがたはバビロンの王のくびきに首を差し出し、彼とその民に仕えて生きよ』」エレミヤ27:12

エレミヤの時代に、アッシリヤによって、イスラエル王国は滅ぼされ、捕虜として連行された。だがそのアッシリヤもバビロンにより滅ぼされた。バビロンは侵攻し、国々は滅ぼされ、ついにユダ王国も、捕囚となった。当時のユダは神から離れ、偶像礼拝に陥り、堕落していた。

 

預言者たちは、人々に耳ざわりの良い、心地良い言葉だけを語った。平安が無いのに、見せかけの「平安、平安」と言っていた。だが真の神の人であるエレミヤは、人の顔色を見ず、真っ直ぐに神の言葉を語った。そのため迫害を受け、苦しめられた。

 

捕囚中の暗黒の中で、エレミヤは、その捕囚は、「災い」としか見えないが、災いではなく「平安と将来と希望」のためのものだと。すぐに解放にならないので、その地で落ち着いて、腰を据えて生活せよと。そして敵であるその町の繁栄を祈れ。それは自分たちの繁栄になるからと。

 

私たちも苦悩の時、一番欲しい言葉は、「即、問題解決」「即、解放」だ。しかし口先の慰めは、更に傷を深くする。かせのような現状を受け入れるなら、その中で主の支え、助け、励ましにより歩める。そして主の愛と慈しみを知る。現実を受け入れる事が大切だ。受け入れられないなら、そのまま祈ろう。

 

主が助けて下さる。そして「70年の満ちる頃・・あなたがたを帰らせる」と。現状の中で、主に従うなら、そこに「平安」が約束されている。そして「神の時」に、そこから出して下さる。

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同情の言葉や安心できる言葉が欲しいが、主につながっていなければ真の安心はない。まっすぐに主の言葉を受けとり、現状を主からのものと受け取ろう。何にも代え難い主からの慰めを受け取ろう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係