「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」Ⅰペテロ5:7

今、心配事があるだろうか。問題は次々と起きる。親子、夫婦の問題、対人関係の悩み、仕事や経済的苦境、健康問題、様々な事で思い煩う。だが、主は「思い煩うな」「何も、いっさい」思い煩うなと。何という恵みの知らせだろう。思い煩いは一切無用と。

 

なぜなら思い煩いは何の益も無い。心配しても、何一つ変わらず、何を成し遂げる事もない。「誰が心配したからといって、自分の命を少しでも延ばすことができるか」と。心が暗闇に落ち込む事で、何かを変える事ができるのか。思い煩いは、百害あって一利無しだ。

 

又、思い煩いは、実際より物事を大きくする。冷静に対処すれば、乗り越えて行ける事態が、恐れでパニックに陥ってしまう。カナン視察の後、ヨシュアとカレブは行ける!占領できる! 前進しよう!と言った。だが民は、他の10人の情報に、恐怖でおびえて泣き伏した。

 

その不安と恐れは、絶えず脳裏に浮かび、それを繰り返し見続けていると、恐怖の要塞を築き、強固にし、モンスターにしてしまう。自分がそうしている。モンスターにはとても打ち勝てず、敗北しかない。不信仰に陥る事になる。しかしそれは事実ではない。

 

空想上のモンスターであり、自らが描く最悪のシナリオは成ったためしがない。「祈りと願い事によって」その不安、この恐れを主に知って頂こう。思い煩うなと言われるが、どうにもならないと、正直に主に告げよう。主は手を延べ、助けて下さり、平安へと導いて下さる。

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不安や恐れは次々に来るが、自分で考え込む前に主に手渡せるよう祈ろう。主は必ず励ましと慰めとをもって最善の助けをくださる。その経験を通して、日々、成長していきたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係