「さあ、私たちに先だって行く神を造ってください・・モーセという者が、どうなったのかわたしたちにはわからないから」 出エジプト32:1

モーセが主との会見でシナイ山に上っている間の事だった。、モーセは不在、主から迷い出てしまった民は、アロンに偶像の神を造るように頼んだ。彼らは周囲の国々の民と同じように、目に見える偶像を求めた。人は目に見えない神よりも、肉眼で見える、形のある神を求めてしまう。

 

それは木や石や金で造ったいわゆる像の神だけではなく、金銭、仕事、趣味、人であったりする。名誉や地位、人からの賞賛が偶像にもなる。目に見えない神を頼れないので、確かな手応えのある、目に見えるものを求める。

 

アロンは、モーセを助けるためにそこに置かれた。だから、モーセ不在中の出来事に際し、主から力を受け、民を指導し、治めるべきであった。それが逆に民の言いなりになってしまった。アロンは鋳物の子牛の像を造り、彼らは「これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」と言い、礼拝した。

 

主はモーセに「すぐ降りて行け。民が堕落してしまったから」と。神の栄光を現すべき聖なる民が、神でないものを崇め、礼拝する、神を辱めてしまう。私たちも、目に見える像を拝む事は無いが、心の奥で、神よりも大切にしているものはどうだろう。

 

神よりも愛し、神よりも信頼しているもの、それが偶像だ。「このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです」と、偶像礼拝は、心の欲望、貪欲にあると。又、心の奥の空洞を埋めたくて、偶像に走る。主ご自身こそが、私たちの心を真に満ち足らわせて下さるお方だ。主ご自身を求めよう。

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主以上に自分が信頼を寄せているものは何だろうか。貪欲に求め、一番頼りにしているものに気づかせてもらおう。それを主に渡せるように祈りたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係