「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」伝道の書3:11

別の箇所で、「確信を投げ捨ててはいけない。それは大きな報いをもたらす」と言っている。主からの約束を待つ時に、まだか、まだか、遅いと感じるだろうか。しかし主は、完璧な「主の時」を持っておられる。「わたしの時がまだ満ちていない」「わたしの時はまだ来ていない」。

 

そして時が満ちるなら、「見なさい。時が来た」と。主は遅れておられない。約束の時を待とう。「もし遅くなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない」。私たちの信仰生活でも、「神の時」がある。私たちは、今こそが時! 今こそ! 今でなくていつなのか!と、しばしば思う。

 

ある教会で、会堂建設の土地を求めていた。丁度、土地の値が大幅に下がった。今こそ買い時、これを逃してどうすると、役員たちも、早く、早くと気が急いた。しかしそれに反し、ずっと祈っていた牧師は、がんと動かなかった。

 

まだ教会の一致に至っていないから、祈りが必要だと。今は祈りの時だと。牧師の決断に従い、教会は一つとなって会堂建設に当たれるように、時をかけて、祈りが献げられて行った。やがて神の時が到来だ。祈りが答えられ、一つとなって、会堂建設へと進んだ。

 

その頃には、土地の価格もすでに高騰していたが、何とそれを上回る献金が献げられ、ふさわしい土地が与えられたのだった。私たちの日常生活においても、神は、ふさわしい時に、ふさわしい事をされる。「すべて」全部、それは時にかなって美しい。美しいとは感動がある事だ。主の栄光が現される。

-------------

神の時を見つめているなら、駄目でも失望から守られる。まだ神の時ではなかったと望みをもって忍耐できる。神の時を悟れるように祈っていよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係