やもめである母親の一人息子が、かつぎ出されるところに、主は遭遇された。当時のやもめの生活は、困難で厳しいものだった。そこに唯一の望みであった一人息子を失うとは。母親は、もう絶望であったろう。病気やけがなら回復するが、死だけは何もかもを冷酷に、容赦なく断ち切ってしまう。後戻り不可能だ。
すべてが打ち砕かれてしまった、何の希望も無い状況だ。唯一頼りで、生き甲斐であった息子を失ってしまった。はらわた裂かれる思いだったろう。生きる望みと支えが無くなってしまった。何のすべもなく、ただ泣いていた。そこに、主が「泣かなくてもよい」と。
「かわいそうに思い」「深い同情をよせ」「憐れまれ」とあり、強烈な同情だ。腹の底から憐れみが湧き出で、溢れ出て、主は青年をいやされた。母親から頼まれたわけでなく、一方的に主の溢れ出る憐れみによってであった。「青年よ。起きなさい」の言葉で、青年は生き返った。
主は口先でなく、「深い同情」と共にいやす「力」を持っておられる。「泣かなくてもよい」は、その通りに実現し成就した。同じ主が、今、悲しみのどん底で、絶望にある私たちに、腹の底からの同情を寄せていて下さる。主はあわれんでいて下さる。主の御口から出る言葉は、私たちの心に奇跡を起こし、揺るぎない「平安」をもたらす。
「彼を母親に返された」完全に取り返し不能の状況に、決定的解決を与えられた。母親に返されたとは、何という愛、慈しみだろう。そして何という御力だろう。この同じ主が、今、あなたの目の前におられる。
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何と感謝なことだろう。深い同情をもって祈りは聞かれている。それは死をも超越する。主が働かれ、顧みてくださったことを、ひとつひとつ経験していきたい。