「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」伝道3:11

サウルがイスラエルの王とされるために、まるでパズルが埋まるように、的確なタイミングで、一つ一つの事柄がなされている。まずサウルの父親のロバがいなくなった。それで父親が、サウルに若い者を連れてロバを捜しに行くよう言いつける。サウルは若者と出かけ、山地を巡りに巡って捜す。しかし、どうしても見つからない。

 

それで、ツフまで来た時に、サウルは父親が心配するから、もう帰ろうと言った。だが若い者が、丁度この町に神の人がいて、彼の言う事は必ず実現するから、道を尋ねに行こうと言う。そこでサウルも同意し、町へ行くと、丁度その日、そこにその神の人であるサムエルが来ていた。

 

そしてサムエルは前日に、主から「明日一人の人を遣わすから、油を注いで、イスラエルの君主とせよ」と告げられていたのだ。父親のロバがいなくなった事、捜しに捜して、ツフの地まで来た事、若者が神の人がいる事に気づいた事、丁度その時そこにサムエルが来ていた事。このどれ一つが欠けても成就しない。

 

「丁度」、時ピッタリに、一つ一つが不思議な導きだ。私たちの人生も同様だ。偶然は一つも無い。主の主権と支配の中で、愛の御手で織りなされ、導かれている。振り返ると、あの時の~この時の~、あれとあれが、これとこれが丁度時ピッタリに繋がって・・と必ず経験している。

 

今、あなたが、今の場所にいること、今、目の前の人々、出来事・・すべてが、主のご計画と配剤だ。又、今わからなくても、後にパズルが埋められ、わかるようにされる。驚くべき主の栄光を拝する。

 

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「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいる」との主により、身に起きる一つ一つが主からの配剤で、無駄は一つもなく、主権のもとの織りなされている事を覚える時、心は守られる。いつも視点を主に置けるよう祈っていよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係