「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。『立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ・・』」イザヤ30:15

ある人に突如の大きな問題が起きた。大変な事になったと、パニックだ。いつも学んでいるように、まず祈らなければと祈るのだが、祈っている最中も「どうしようどうしよう、どうすれば良いか」と頭はぐるぐると思いが巡り、方策を懸命に考えている。これは祈りではない。

 

だが祈ろうとするのだが、あれこれと思いが来て、思いを巡らすばかりだ。自分が前に出てしまい、自分で何とかしようとしている。そのため平安など全く無く、不安で不安でたまらない。段々「こうなったら、ああなったら」と最悪のシナリオが、どんどん浮かんで来る。

 

ますます心は暗くなり、思い煩いでいっぱいだ。恐れと不安にさいなまれ、余りにも苦しくてたまらず、主に叫び祈った。その時「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」と語られた。

 

そして自分は、その後の「しかし、あなたがたは、これを好まなかった」「あなたがたがは言った。『いや、私たちは馬に乗って逃げよう』」の者だと。自分で何とかしようとしている姿を見せられた。そのため、焦り、恐れ、不安しかない。

 

「やめよ、静まれ、わたしに信頼せよ」と言われる。問題に飲み込まれ、問題しか見えず、神が見えていなかった。口先で祈り、自分が動き回っていた。主に問題を持って行くようにされ、不安しか無かった心に、初めて安堵が来た。

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すぐに自分の望む結果が来ないことが不安なのではないだろうか。あれこれ考えるより主の最善を信頼できるように祈りたい。心配し、不安定な心を主の平安で満たそう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係