「黙っているのに時があり、話をするのに時がある。愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある」伝道の書3:7

主は、ご自身の時間スケジュールを持っておられる。種まきはどうだろう。土を耕し種を蒔き、水をやっていると芽が出る。日を追って、芽が少しずつ伸び、茎ができ、葉が生え、やがてきれいな花が咲く。植物の生長にも、主は、時を定められ、主のスケジュールがある。芽、茎、花、実と、主の時と秩序がある。

 

もし、これを無視したらどうだろう。早く芽が出るようにと、人の手で種に裂け目を入れたらどうだろう。種は死んでしまう。又、早く花を咲かせたくて、茎を引っ張ったらどうか。主の時を待たないなら、損なってしまい、だめにしてしまう。出る芽も出ず、咲く花も咲かず、実も実らない。

 

霊的成長も同様だ。成長には必ず時間が必要だ。長い時間がかかる。長期戦であり、主のプランは、長期計画だ。悪あがきをせず、人生の苦しみ、喜び、悲しみ、それぞれの「時」をしっかり受け入れて、生きて行く事が大切だ。その中で鍛練し、育み、必ず一歩〃成長させて下さる。

 

ダビデは「四方八方みな恐怖」で出口も見えない苦難の時に、「私の時は御手の中」と言った。状況でなく、主を見て、主の手の中にある事を見た。そして困難な状況は、「神の時」に、導かれ回復して行った。

 

つらく苦しく何の希望も見えない時、しかしこの「時」は、愛の御手の中にある事を覚えよう。握っておられる神に目を向け、信頼して行こう。その時に「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」ことを実際に体験して行く。

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自分の知恵でいくら知ったつもりでいても、真に生きた神との出会いには敵わない。日々にくる苦しみも喜びも真摯に受け止め、主に委ねたい。神の美しい時に今も生かされている。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係