「しかし、賢い娘たちは答えて言った『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい』」マタイ25:9

花嫁の10人の友人たちが、ともしびを持って花婿を迎える準備をしていた。ところが花婿が来るのが遅れたので、皆、居眠りをした。その時に突然花婿の到来が告げられた。皆起きて、ともしびを整えようとしたが、5人は予備の油を持ち、5人は持たなかった。 

 

持たない者たちは、灯が消えてしまうので、油を分けてくれるよう頼むが、分けて上げるほどは無いので、店に行って買うように言われた。しかしその間に花婿が到着し、予備油を持っていた5人の娘たちだけが入り、婚宴の戸は閉じられた。

 

ここでは居眠りは問題でない。賢い5人も愚かな5人もどちらも居眠りした。ともしびも、どちらも持っていた。何が問題なのか。異なる点は、予備の油を用意したか、していないかだ。その予備の油は、人に貸し借り出来ないものだった。

 

「分けて上げられない」とは、一見冷たいように感じるが、分ける事が不可能なのだ。油を用意するとは、御霊に導かれた生活を、主との交わりを、地道に日々重ねて行くことだ。御言葉に耳を傾け、従って行く事だ。一日一日を通して主との関係を積み重ね、信仰を、信頼を、培われて行くことだ。

 

それはどこまでも主と自分との個人的な関係なので、誰かに取って代わる事など、したくても出来ない。主の再臨まで、油を豊かに備えること、地道な主との交わりにより、主との信頼関係を築き深めて行くことだ。それが主をお迎えする準備を整える事であり、賢い娘だ。

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誠実に主と共に歩んでいこう。主との交わりを通し与えられた信仰は主が豊かに育ててくださる。日々、備えられている恵みに感謝し主を賛美しつつ主が来られる時を待ち望もう。

 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係