「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」ヨハネ4:14

サマリヤの女性が、カンカン照りの暑い昼間に井戸水を汲みに来ていた。普通、涼しい夕方に、生活用水のために井戸に集まった。談笑も楽しんだ。だが彼女は人目を避けての事だった。その時、主が、彼女に「水を下さい」と求められた。

 

彼女は驚いたのだが、当時はユダヤの男性が、サマリヤの女性に声をかける習慣が無かった。サマリヤ人とユダヤ人は敵対関係にあった。そして主は、井戸の水はまた渇くが、ご自身こそが、生ける水を与え、決して渇く事の無い、心の満たしを与える事ができると言われた。

 

箴言に「人の望むものは、人の変わらぬ愛である」とあり、人は、誰しも心の奥で、愛し、愛される事を求める。しかし人の愛は条件付きであり、又、人の心は移ろい変わる。この女性は、男性の愛こそが、心を満たしてくれるものと思っていた。それにより幸せになれるのだと。

 

そのため5度の結婚と離婚を繰り返し、今は同棲中だった。だが、そこに満たしは決して無かった。この世の水は飲んでも飲んでも、また渇くし、ますます渇く。私たちも、主以外のものを求めて、心を満たそうとしていないだろうか。それならますます心は渇くばかりだ。

 

女性は、心の奥に強い渇きがあり、満たされずに、虚無の中にいた。主は、彼女のその心を知り、わざわざ彼女に会うために、サマリヤに立ち寄られた。私たちの心の状態を主はすべてご存じだ。虚しさがあるなら、主こそが、主のみが満たして下さる。主に向き、主に求めよう。

--------------

この世のものは必ずなくなってしまう。それを拠り所にしているから失望と落胆の連続ではないのか。主がくださる湧き出る泉はたましいを生き返らせてくれる。主に求めよう。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係