「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです」 ローマ8:14

クリスチャンの心の中には、生まれつきの肉の思いと、御霊によって与えられる神の思いという、二つの相反するものが働いている。日常に絶えず経験する。二つの性質が心にあり、どちらもが強く引っ張る。肉の思いに従うなら、妬み、憎しみ、怒り、偽り・・罪の実を結んでしまう。

 

御霊の思いに従うなら、愛、喜び、平安、寛容・・御霊の実を結んで行く。どちらもが、自分の内にあり、瞬間瞬間の選択が結ぶ実を決定する。ある人が若い時に非行に走った。複雑な不幸な生い立ちだった。しかしある時気づいた。確かに生い立ちは不幸せだし、親にも恵まれなかったかも知れない。

 

しかし、ひがんで、グレる事を選択するのは、紛れもなく自分なのだと。他人は誰も、自分に取って代わって選択できない。自分自身が選択している。だから責任は自分にある。グレる事を拒否する選択もできたはずだ。そうであれば、これからは、主に従う道を選択して行きたいと。

 

私たちも同様だ。サタンは肉に働いて、罪に引き込もうとする。寛容な態度をと思っても、つい肉はイラ立ち、とげとげしくなる。又、人からきつい言葉を受けると、肉は反撃したくなる。しかし御霊は、まず祈れと言う。二つが相反し、どちらもが引っ張る。

 

そのつど「できません。助けて下さい」と主に渡そう。すると御霊が助けて下さる。御霊が働かれる時、頑張る事なく、優しい言葉をかけ、相手のために祈ることができる事を経験して行く。奇跡であり、自分でなく御霊の働きだ。

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意識しなければ迷わず肉を選ぶ者だが、そうはそうはしたくない思いを主から受けている。御霊の導きを選びたい。自分では決してできないが、主が必ず助けてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係