「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。・・主は私のたましいを生き返らせ」詩編23:1

ある人が、ずっと仕事に追われていた。確かに忙しい職種だった。目の前の事をこなすのが精一杯で、余裕の無い日々だった。心身クタクタの中、デボーションだけは欠かさなかった。信仰生活の生命線だと教えられていたし、自分もそう思っていた。

 

そんな中、不注意の転倒で足を骨折してしまった。手術は成功で、しかし入院でベッド生活となった。静かな、ゆっくりゆったりとした時間が与えられ、主と十分な時間を持てた。息を吹き返すようだった。その時に、毎日のデボーションが形だけだった事に気づかされた。

 

形を整えて良しとする、いけにえを献げてOK、おつとめを済ませて、良心をなだめる。形があるだけに気づけなかった。真の喜びや満たしは無かった。心行くまで主と交われ、御心を悟り、気づきが与えられ、御言葉に新たにされ、励まし慰め、潤され、素晴らしい恵みの時間とされた。感謝でならなかった。

 

ある主婦は多忙の中、草刈りの必要が生じ、うんざり落胆した。だが目の前の作業を主からと受け入れ、主への礼拝行為として、この仕事をしますと祈った。単純作業なので草を刈りながら、祈りの時とし、主と交わった。

 

多くの執り成しの祈りが出来て、作業終了時には、庭は見事に気持ちよくきれいになり、心もすっかり新たにされた。主との交わりで、喜びと潤いに満ちていた。イライラピリピリする時は、少し時間を取って、主と交わろう。心を主に向けよう。潤いが流れ込む。

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外と離れた入院生活が祝福だったように、思いはすぐに動こうと反応する。その弱さを覚え主に明け渡す時を守りたい。静かな主との交わりは、どんな時でも平安を受け取れる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係