「肉にある者は神を喜ばせることができません。けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです」ローマ8:9

ある女性が結婚したが、共に生活してみると、自分が思っていた夫とは全く違う事がわかった。価値観がこんなにも違ったのかのかと驚き、好みの違い、習慣の違い、様々な事でギクシャクした。この結婚は間違いだったのか。悶々状態の中にいたが、夫は仕事がハードで、心身疲れ果て、語り合う時間も皆無だった。

 

イライラが募り、不満で一杯になり、相手を責めてしまう。しかし自分の非は認めたくない。そんな強い自我に苦しみ、又、そんな自分に自己嫌悪に陥る。平安がなく、主に赦しを求めるが、すぐに相手を責め立てる思いが噴出する。夫とは喧嘩が絶えない毎日となっていた。

 

イラ立ち、怒り、失望・・この結婚を続けられるのだろうか、というまでに追い詰められた。疲れ果て、気力も失せ、もうこれ以上どうにもならない状態になった。「主よ、助けて下さい。自分自身、もう限界です。この結婚を明け渡します」とギブアップした。

 

その時に初めて、理解していると思っていた主の十字架が、真に自分の事として迫った。罪しか犯す事ができない自分だからこそ、自分のための十字架である事がわかり、心底からの悔い改めが与えられた。今まで味わった事のない平安に満たされた。

 

祈りながらも、ずっと自分で、自分の力で、何とかしようとして、もがいていた事に気づかされた。どん底こそが、実は最大の恵みの場所だった。

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肉の感情に引きずられる生き方は、結局、自分自身を苦しくさせる。主はそこから救い出してくださった。かたくなな自我から、御霊に従いたいと意思を向けて祈ろう。