「あなたがたがは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです」ヤコブ4:2

悲惨な事件、争いが、毎日のように報道で流れる。又、身近なところでも、いざこざを見る。深刻な事件が起きると、人々はその原因を究明しようとする。なぜこういう事が起きたのか、幾多の議論がなされる。しかし、聖書によると、争いの原因は、人の内側にある「欲望」によるものだと言っている。

 

「からだの中で戦う欲望が原因」だと。自分の内にある肉の欲が、争いを引き起こさせ、罪を犯させる。「ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをする」。どこまでも自らの欲望を遂げようとするなら、人を殺しててでも手に入れて行くと。これが国家間であれば戦争となり、個人的な人間関係なら様々ないざこざとなる。

 

実際、この世ではこの争いにより、多くの問題が起き、親族間、友人間、職場、隣近所のもめ事から殺傷事件になっている。この問題の根が自分のからだの中で戦う欲望、自己中心から来ると。自分が第一で、自分、自分、どこまでも自分が中心で、自分の欲を満たそうとする。そこから争いが起きる。

 

この罪のために、主は十字架にかかり、解決を与えて下さった。どこまで行っても自己中心にしか生きられない者が、主と共に十字架につけられたのだと。「私はキリストとともに十字架につけられました」。この御子を信じる信仰によって生きる時に、主のために生きようとする、新しい性質、新しい生き方が与えられる。自分で奪い取るのでなく、主に祈り、主に願い、主が与えて下さる新しい歩みだ。

 

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人は、自分の欲が満たされる時、幸せになれると思ってしまう。自分の思い通りになる時に、満足が得られると勘違いする。逆で、自分を捨てて、御心に従う時に幸せと満足、喜びが来る。今日も「主と共に十字架につけられた」に立って歩みたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係