「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」詩篇37:5

よく耳にする。思い煩いが苦しくてたまらない。心が重く沈み込んで、喜びも平安も無い。主にゆだねたら良いと、わかるのだがゆだねられなくて、悶々としてしまうと。「ゆだねる」とは、石を転がすという意味で、私たちの大きな重くて負えない石を、主の上に転がしてしまう事だ。

 

転がした石は、もう自分の手には無い。自分の手の中は空だ。そのように、ゆだねるとは、きっぱり主の手に渡してしまう事だ。するとその問題は主の手に渡るので、思い煩いが消える。不安が失せて、心は平安になる。ところが、ゆだねなかったり、ゆだねたつもりなら、結局は自分が握ったままなので、不安は消えない。

 

ある人が、突如起きた深刻な問題に、ずっと思い煩いが続いた。恐れと不安にさいなまれる。胃が痛くなって来る。胸に鉛があるように重く苦しい。主にゆだねたら良いとわかるのだが、ゆだねられない事に気づいた。どうしても自分が握っていて手放せないのだ。

 

なぜ手放せないのか。自分が放してしまうと、すべてが崩壊してしまうように思えるからだ。何もかもだめになってしまうと。だからますます堅く握りしめる事になってしまう。しかし苦しくてたまらず、あるがままを祈っていた時に、気づかされた。

 

自分は主を信じられないから、手放せないのだと。自らの「不信仰」に気づかされた。心から悔い改めた時に、主にゆだねる事ができた。心の鉛が消えて、平安と安堵に満たされた。

------------

主の最善を信じられずに悶々と悩む不信仰に気づきたい。自分で解決方法を模索している間はずっと不安だ。不安が来る度に、主に委ねていけるように祈りを変えたい。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係