「主は生きておられる。主は、必ず彼を打たれる。彼はその生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ」 Ⅰサムエル26:10

サウル王に仕えていたダビデだが、ダビデの方が、人々から人気を博するようになっていた。そんなダビデは、サウル王に妬まれ、その妬みは憎しみへと増幅し、殺害のためつけ狙われていた。絶えず生死の危機にあった。そんな中、サウルはダビデの所在を知り、執拗に追って来た。

 

その情報を得たダビデは、夜にその陣営に行ってみた。するとサウルと将軍アブネルや兵士たちが皆、熟睡していた。今こそが反撃のまたとないチャンスだ。主が与えられた好機だ。部下が、主が敵を渡された、殺させて下さいと申し出たが、ダビデは許さず、決してサウルに手を下さなかった。

 

その理由は、サウルが「主に油を注がれた王」であったから。そして同時にダビデ殺害の行動は、主の御心に反するものである事も知っていた。その事について「主は、必ず彼を打たれる」と信じていたので、ダビデは裁きを主に委ねた。自分で復讐しようとはしなかった。

 

そのしるしに、サウルの枕元にある槍と水差しを持ち帰った。「主が彼らを深い眠りに陥れられた」ので、皆、眠りこけて気づかなかった。すべての事は主の主権の下にあり、眠りすら主の支配だ。やがてサウルはダビデが二度までも、チャンスがありながら、自分を殺さなかった事実を知る。

 

そのダビデを「わが子ダビデ。おまえに祝福があるように」とサウルはついに祝福した。決して自分で復讐せずに、どこまでも主に委ねて行くダビデの命を、主が守られた。主に、裁きを委ねよう。

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復讐のチャンスが目の前にあれば大きな誘惑だろう。でもダビデのように、必ず主がすべての苦しみから私を救い出してくださるとの信仰に立って、敵対するより主に従い主の報いに望みを託したい。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係