「こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます」マタイ6:32

ある人が、神学校を卒業後、若くして牧師となり、地方の小さな教会に赴任した。まだ少人数であり、経済的に非常に厳しく、主が言われた通りに、「私たちの日ごとの糧をきょうもお与え下さい」と日々切に祈り続けた。少しの貯えを切り崩しながら生活をしていたが、とうとう底をついた。

 

どっと思い煩いと不安に襲われる。そんな時、祈りの中で「空の鳥を見よ。種蒔きもせず、刈り入れもせず・・けれども天の父が養っていて下さる」「野のゆりは、働きもせず紡ぎもしない」「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか・・心配するのはやめよ」「心配するな」「明日のための心配は無用」と強く語りかけられた。

 

主が、心配無いと言われた。そこで今一度、決心し、主にいっさいを委ねた。そうしていると知人から電話がかかり、友人が塾講師を探しているが、バイトでどうかとの打診だった。丁度、祈っていた中での要請だったので、主の導きと心から感謝した。数年間、丁度良いように必要が満たされた。

 

主に身を預け、信頼して行く者を必ず守り、養って下さる事を、身をもって経験した。思い煩いは、凄まじい力があり、自分ではどうにも出来ない。そのままを祈りに持って行こう。語りかけられる主の言葉には力がある。肝心な事は「神の国とその義とをまず第一に求めよ」とある。今、必要な事は、神を第一に、軌道修正する事だろうか。

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主から語られるいのちの言葉は、心配事で沈んでいるたましいを生かしてくれる。あれやこれや考える時、問題の中に主を認めて、主に助けを求め、頼りながら歩もう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係