「コラの反乱」の箇所だ。コラと共謀者たちが250人の民と共にモーセとアロンの権威に反逆した。「全会衆は皆、聖なる者なのに、なぜあなたたちが上に立つのか、分を越えている」と。モーセはこれを聞いた時、自分が出て対応、対処せず、まず御前にひれ伏し、主に祈った。
その時、主ご自身が出て、決着をつけられた。コラは全会衆を扇動して、二人に反逆させようとしたが、主がはっきりと誰が聖であるのかを示された。地面が割れ、反逆する人々は飲み込まれた。主ご自身が裁きをつけられた。その後、主は明白なしるしを与えられた。12部族に1本ずつ杖を持たせ、主が選ぶ者の杖は芽を出すというものだった。
するとアロンの杖が芽をふき、アーモンドの実を結んだ。主ご自身が民の不平をしずめられた。私たちも、各々に量り与えられた、分をわきまえる事は大切だ。人や自分の思いではなく、主が、一人一人に与えられた分がある。各自の立場や役割は、聖なる主からのものだ。分を越えていたのは、コラと共謀者の方であった。
今いる場所で、他の人々への羨望や自己憐憫はないだろうか。他の立場や役割への妬みは、恐ろしい罪へと増幅して行く。妬みから邪悪な行いが生まれる。今の境遇に置かれたのは、主だ。「自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた」のが悪魔だ。
分をわきまえ、今の場を受け入れる時、主はその所で豊かに祝福し、あなたを素晴らしく用いられる。主と一つに、今の場で役割を果たして行こう。
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一人一人、皆、役割が異なり、遣わされた場が異なり、賜物が異なる。クリスチャンは与えられた賜物が皆、全く違うので、ライバルがいないと言われる。競争にならないからだ。主を見上げ、絶えず御心を尋ね求めて、与えられた分に従って行きたい。