「主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べるものを 差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか」 マタイ25:38

よく知られている「靴屋のマルチン」という物語がある。ある日、主がマルチンに現れ「明日、お前のところに行く」と言われた。マルチンはそれはもう大喜びで、翌朝働きつつも、窓の外をじっと注視していた。外は厳寒で、雪かきの老人がいた。彼はその老人を暖かい家に招き入れ、お茶をふるまった。

 

次に、赤ん坊を抱いた貧しい母親を見た。マルチンは急ぎ、その母子を家に入れ、暖かいショールを与えた。マルチンは、主はまだかまだかと待っていると、少年が老婆のかごからリンゴを盗むのが見えた。マルチンは懸命に執り成し、少年と一緒に謝った。

 

やがて夜となり、ついに主に会えなかった、マルチンはひどく落胆した。その時、主が「今日お前のところへ行ったが、わかったか」と言われ、主の姿が、老人、母親、少年に変わったのだった。そして助けが必要な人に、助けを与えるなら、それは、主にしたのだと言われた。

 

大きな事でなくとも、ほんのささいな事でも、必要な人に与えるなら、主にしたと、主は豊かに報いて下さる。又、小さい者とは、普段り気にかけない者の事だ。それなら家族はどうだろう。他人には気を遣い、礼儀正しく、親切で、良い人になれる。

 

が、家族は余りにも当たり前すぎて、無遠慮で、甘えが出て、わがままになるだろうか。一番身近な、家族こそをまず大切にしなければならない。小さな者の一人にしたのは、主に対してした事だと言われる。こんなに嬉しい事は無い。御霊に導かれて、対応して行こう。

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困ったときに助けられ「ああ、主よ感謝します」と何度言っただろう。主が遣わしてくれた助けだった。周囲に心を向けていこう。御霊に導かれ、主に用いてもらおう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係