「あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しい さばきをしてくださいます」ルカ18:8

ある町に神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。この人は裁判官だが、人を人とも思わない人物だと。まず神を恐れないため、人を人と思わない事になる。やもめが、裁判を求めて、ひっきりなしに訴えて来るのだが、同情や思いやりのかけらも無い。必死であり、せっぱ詰まったつらい事情があるであろうに、何とも思わず、何も感じない。眼中に無いかのようだ。

 

しかし、やもめが余りにもひんぱんに来るので、迷惑であり、仕事にも差し触るので、うるさいから裁判をする事にした。裁判が実現したのだが、それはあわれみの心や愛情からではなく、うるさくて仕方が無いからの理由であった。こんなどうしようもない裁判官でも、執拗に願い続ければ、裁判になった。

 

そうであれば、ましてや私たちを独り子を与えるほどに愛して下さっている神が、私たちの訴えを、正しい裁きをつけずに放置されるわけがないと。そういう事を言っている。「ましてや神は」がキーだ。とんでもない人物と神を対比させている。この人物は、あくまでも自己中心な理由だったが、神はそうでなく、どこまでも私たちを愛して、私たちの最善を考え、正しい裁きをして下さると。

 

だから失望せずに祈り続けよと。大事な事は、祈り倒せば良いのでなく、祈る相手がどのようなお方かという事だ。神は最善以下をされない。すみやかに正しいさばきをして下さる。だから、答えが遅れていても、必ず「神の時」に答えが来るので、「失望せずに」祈り続けよと語られている。

 

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主は、執ような祈りに、うるさいから答えて下さるのでなく、愛し慈しんでいて下さるから、答えて下さる。先も見通しておられ、何もかもご存じだ。今、祈っている祈りを引き続き祈ろう。最善の時に答えを下さる。「失望してはならない」を心に刻もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係