「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」Ⅰヨハネ1:9

ある人が、以前に犯してしまった罪を悔い改め、主の十字架の血潮により赦して頂いた。その時は平安になるのだが、しばらくすると、その罪が思い出され、悶々とする。又、悔い改めて、ほっとするのだが、又、罪を思うと苦しくなる。そんな事を繰り返していた。段々と、それがサタンの攻撃である事を気づかされて行った。

 

そして自分は罪が完全に赦された事を、しっかり受け取っていないから、サタンから思いの火矢が来るとすぐに動揺し、混乱してしまう事を。根本的に、信じ切れていない不信仰を示された。「自分の罪を言い表すなら・・その罪を赦し」はっきりと赦すと言っている。

 

「わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さない」「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる」「東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される」そして「イスラエルの咎は見つけようとしても、それはなく、ユダの罪も見つけることはできない。

 

わたしが残す者の罪を、わたしが赦すからだ」。主が赦して下さった罪は、見つけようとしても見つけられないと。自分がどう感じるかでなく、自分の感覚でなく、御言葉を真実として、御言葉に立とう。

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サタンはいつも自分だけを見せようとする。真実は罪は十字架によって赦されているということ。主の犠牲だけがそれを成し得る。心から感謝して受け取ろう。そして恵の光の中を歩もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係