「・・それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった」Ⅰサムエル1:18

当時、イスラエルは士師の時代で、霊的には、暗黒状態であった。人々は主の目に悪を行い、主を無視して、めいめい自分が正しいと見える事を行ない、つまり自分勝手に歩んでいた。主は、その暗闇時代に、霊的指導者を起こそうとされた。そのために協力者が必要であり、主はハンナを見いだし、見込まれた。

 

「主がハンナの胎を閉じておられた」とあり、そのため胎を閉じ、ハンナの祈りを引き出そうとされた。ハンナは不妊のつらさ、ペニンナによるいじめ、周囲の偏見による苦しみ、ハンナは募るつらさと苦しさに主に向かい、心を注ぎ出し、涙ながらに一心に祈った。

 

その祈りの中で「男の子をさずけて下さいますなら、その子の一生を主におささげします」との決意へと導かれた。そしてその祈りは答えられ、祈りによりサムエルが産み出された。ハンナの祈りが用いられた。その時、泣いて食事もできなかったハンナが、祈り終えた時、顔が変わり、すっかり平安になり、帰宅して食事ができた。

 

激しく泣き、苦しみ、悩みと憂いのいただちの、もう以前の顔ではなかった。平安になり、心はすっきりしていた。私たちも祈りによって、しばしば経験する。苦しい状況で、主に心を注ぎ出して祈る時、状況は変わらずとも、まず自分の内側が変えられる。御父に自分を委ねると、状況はそのままなのだが、心が落ち着き、平安が与えられる。

 

私たちも、もし今、閉じられた状況にあるなら、それは主が祈りによって、開きたいと思っておられるのかも知れない。どうであれ、ハンナのように、主に向かい、心を打ち明け切に祈ろう。主は祈りに答えて下さる。

 

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ハンナは、心の切なる願いと共に、心にある苦しみ、悲しみ、つらさ、嘆き、怒り、いら立ち、痛み、何もかもを吐き出し、感情を主にぶつけ、募る思いをすべて主に持って行った。そして御言葉を与えられて、別人のように晴れやかな顔に変わった。主に持って行こう。