「そこでパウロは大声で、『自害してはいけない。私たちはみなここにいる』と叫んだ」使徒16:28

福音宣教ゆえの迫害で、パウロとシラスが捕らえられ、投獄された。着物をはいで何度もむち打たれて、足かせと共に暗い冷たい牢獄だ。むち打ちで、身体に激痛が走る。その中で彼らは、真夜中に、何と「神に祈りつつ賛美の歌を歌って」いた。すると他の囚人たちが「聞き入っていた」。

 

心を傾けて、じっと聞いていた。その悲惨な状況で、不平不満も、イラ立ちやつぶやきもなく、湧き上がる賛美に、囚人たちは見た事のない、この世のものとも思えないものを見た。ただ者ではないと。そんな中、大きな地震が起きて、戸が壊れて全部開き、鎖がはずれてしまった。

 

自由に逃げる事ができたのだが、だが誰一人として逃げず、彼らに従った。強く心が捉えられ、引き寄せられた事だろう。なぜこんな苦しい、悲惨な状況で、平安に賛美できたのだろう。パウロとシラスが、主に信頼していたからだ。むち打たれた事も投獄も、人や状況でなく、そこに主を認め、主のご計画を信じたからだった。

 

今はわからずとも、主の最善がなされていて、必ず祝福に至り、主の栄光を現して下さる事を信じた。彼らの信仰であり、主を信じていたので、感謝する事ができた。そんな彼らが、囚人たちへの証しとなり、それは看守の救いへと至った。

 

当時、囚人を逃がしてしまうと死刑だった。それで囚人が逃げたと思った看守は自害しようとした。そんな看守の命が救われ、たましいが救われ、家族揃って救いに入れられた。大きな喜びの実を結んだ。

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どんな状況にも主を見上げて賛美をささげる信仰を学びたい。自分の問題だけにうずもれず周囲に心を配る恵みにも与れる。主の最善を信じて賛美をささげよう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係