「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして、一心に走っているのです」ピリピ3:14

よく「他人と過去は変えられない」と言われるが、自分の過去のあれこれを思っては、くよくよ悩む事があるだろうか。普段は目の前の事に追われて、忘れているが、何かがあると、過去の失敗、過失、傷がよぎり、思い出されるだろうか。

 

フラッシュバックし、心が沈み、重苦しくなり、落ち込んでしまう。悔い改めたその事は、主の十字架の血潮により、すでに完全に赦されている。にかかわらず、ほじくり出しては悶々とする。大きな失敗やミスを、もしあの時、この時、別の選択をしていたら・・、違う対処をしていたら・・と引っ張り出しては悶々とする。

 

又、逃したチャンス、判断ミス、あの時ああで・・、この時こうなら・・人生は違った結果であったろうにと・・堂々巡りをする。だが、もし主が、あなたに別の道を歩ませようと思われたなら、その時、そう出来なかっただろうか。この事を信じ、認めているだろうか。

 

心の奥に、とがめや不安があるなら、前に進む事ができない。感謝と喜びが奪われてしまう。過去のその所に主を認めよう。「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない」と、主は宣言されている。罪の全き赦しを受け止め、感謝しよう。主の摂理と御心を認め、信仰もって受け入れよう。

 

パウロはこの一時に励んでいると言った。それは、後ろのものを忘れ、一途に前に向かって進んでいると。主の赦しと摂理を受け止める時に、ひたむきに前進して行ける。新しい歩みに進んで行ける。そして主の栄冠を頂くために走ることができる。

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私たちは主の赦しと恵みを受けて、どんな時にも喜んで前進していける。過去にひっぱられるとき、主に助けを求め、解放されたことを信じ貫こう。後ろのものを振り返らず前に進もう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係