「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を 自分よりまさっていると思いなさい」ローマ12:10

この後に「喜ぶ者と共に喜び」と出て来る。“作り笑い”はできるが、“作り喜び”はできないと言われるように、笑顔は作れるが、喜びは自分では作れない。喜んでいる振りをしても、喜びがあるか無いかは自分が知っている。

 

ある人が、親しい友人と受験勉強も共にして、受験になった。すると友人は合格、自分は不合格だった。落胆で、心は真っ暗だった。起き上がる力も無かった。そして、どうしても友人の合格を喜べなかった。羨ましいばかりでつらいものがあった。だが心に平安は無い。 

 

自分はクリスチャンで、このままで良いはずはない。つらくて、「喜べません。助けて下さい」と主に祈った。心底からの祈りだった。その時、不思議だったが、感情は伴わなかったが、お祝いを言おうと思えた。心が変えられた。

 

「おめでとう。良かったね」とだけだったが、伝えた時、相手が驚いて、特別嬉しかったと喜んでくれた。主の証しになったようだった。暗かった自分の心も平安になり、御霊の喜びが与えられた。そして翌年、自分も合格が与えられた。

 

喜ぶ者と共に喜ぶ事が、特に難しいと言われている。どうしても妬みや羨望が来るからだ。しかし主は、必ず自分にも良くして下さる。自分にも、必ず良いものを下さり、祝福して下さる、その主を信じる時に、御霊の助けにより、喜ぶ者と共に喜ばせて下さる。

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自分をおいて人が幸せになると素直に喜べない者だ。けれど主に十分に愛されている自分ではないか。御霊に従おう。主に委ね、主にあってともに喜びあいたい。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係