「天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません」詩篇73:25

詩篇記者は、悪者が富を増し、安らかそうで、繁栄するのを見て、落ち込んだ。彼らは楽しそうで、豊かで肥え太っていて、あぶらぎっていて、何の苦しみもなさそうだ。それに引き換え、神を信じている自分は惨めで、苦しみばかりで、何の良い事もない。 

 

この足はたわみそうで、歩みは滑るばかりだと。どうして神を信じない悪者が栄えるのかと。しかし教えられた。それは「私が誇り高ぶる者を妬んだから」だと、自らの妬みから来ていた。そして、その妬みは、人との比較の中から来るのであり、主を見上げるのではなく、主を見失い、人を見ていたからだった。

 

信仰生活で、平安や喜びが失せるのは、状況の問題ではなく、主以外のものを見て、主から目が離れるからだ。主以外のものが第一になっていて、その底に、富への欲や、人からの賞賛を求め、それを愛する心がある。それが人への羨望になって出る。

 

それは、主に焦点が合っていないので、その結果、様々な不平不満、愚痴、イラ立ちとなってしまう。心に平安がなく、虚しい。しかし、彼は聖所に入った時に、光が臨んだ。心がすさみ、悶々状態の原因は、目の前の状況ではなく、主と自分の関係にあるとわかった。

 

主から離れているから、喜びも平安も無いのだと。今、もし平安が無いなら、目の前の問題のせいと思うかも知れないが、それは関係が無い。心が、主以外に向いていないだろうか。逆に、どんな困難な中でも、主を見上げ、主との交わりにいるなら、心は不思議な平安に守られる。

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聞く声も応える声もないように思えるとき、主に近づき主に祈ろう。主は、今日も変わらず導き守っていてくださっている。今を主に感謝し賛美していこう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係