「私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります」Ⅱコリント9:6

喜んで与えること、献げることは大きな祝福だ。この祝福を妨げ、奪うためにサタンは必ず狙って来る。古い性質には、自我があり、執着心があり、所有欲のため、なかなか献げられない。ある人は「前もって用意」するよう示されていた。

 

銀行で下ろす予定が、多忙で後回しになり、時を逸した。礼拝で手持ちを献げるよう、御霊の促しがあったが、渋った。すると帰路で車のトラブルに会い多額の出費が必要に。ある時も御霊の示しがわかったが、家計の不安をあおるサタンの声に従ってしまい、献げられなかった。

 

その帰途、交通違反で罰金に。主の直接の関与に、放っておかれない事が嬉しかったと。別の人は困窮状態のため祈り求めていると、献げるよう示され、示しに従い信仰によって大胆に献げた。すると、思いもかけない所からすべての必要が与えられ満たされた。身をもって従う事の祝福を知った。

 

肉は、神第一でなく、自分の必要が第一になってしまい、自分の損得で動いてしまう。献げるより、得る事に喜びを感じる。しかし、新しい性質は、損得でなく、主の御心が判断基準だ。例え損になっても、主に従い、御言葉に従う。そして大いなる祝福を刈り取る。

 

献げる時、必ずサタンが妨害して来る事を覚えよう。御霊の示しに、信仰により従う時、新たに主の愛を知り、喜びが満ちる。そして更に祝福が増し加えられる。

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主はすべての物を豊かに与えて日々楽しませてくださっている。持っている富ではなく、与えてくださる主に望みをおいて、自分に与えられている恵みを豊かに献げよう。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係