「彼らは風を蒔いて、つむじ風を刈り取る。麦には穂が出ない。麦粉も作れない。たといできても、他国人がこれを食い尽くす」ホセア8:7

北王国のヤロブアムは、今のままなら、民は自分を殺し、ダビデの家に帰り、ユダのレハベアム王のもとに帰るだろうと、恐れた。そこでエルサレム神殿に上る必要はないように、何と二つの金の子牛を作り、その偶像をベテルとダンに置いた。しかし、主が、彼らの作った金の子牛をはねつけ、怒りを燃やすと。サマリヤの子牛は粉々に砕かれると。これはアッシリヤの侵攻により、粉々に砕かれた。

 

「彼らは風を蒔いて」とあり、偶像礼拝は「風」を蒔くことだと。風を蒔いても、虚しく、何の結実も無い。種を蒔くなら、芽が出て、必ず結実するが、風は虚しいだけだ。クリスチャンになると、子牛や、木や石の像を拝む事は無いが、心の偶像はどうだろう。

 

形は信仰者だが、実は大切なものを握りしめ、実際は主ではなく、偶像を大切にしているなら、実を結べない。もし、どんなに努力し、忙しく動き回っていても、風を刈り取ることで、虚しい働きであり、何も残らないと。

 

風を蒔いても「穂が出ない」「麦粉も作れない」と言っている。「偶像を捨て去り、すべての忌みきらうべきものをあなたがたの前から遠ざけよ」と言われ、偶像を捨てるようにと。偶像を持ったままでは、御霊の実を結ぶ事がなく、自分が変えられて行くことがない。まず御霊に自らの心の内を照らして頂こう。豊かな実を結ぶ者へと導いて下さる。

 

・・・・・・・・・・・・・

クリスチャンにとって、木や石や様々像などは、決して拝まないが、そういう形ではない偶像がある。富、人、自己実現、人からの評価等、心で愛するものを御霊に示して頂こう。虚しくない、実を結ぶ生涯とされたい。示して頂いて、従って行きたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係