「天の下では、何事にも定まった時期がり、すべての営みには時がある」伝道3:1

祈りに関してどうだろう。祈り続けるのだが、祈っても祈っても答えられない経験があるだろうか。真剣に熱心に祈っているのだが、答えが来ない。しかしそれを通して、祈りの答えには、「神の時」があるという事を学ばせられる。

 

「神のなさることは、時にかなって美しい」。神が目的をもって、時を遅らせておられる。御心にかなっていないのでなく、御心であるが、神が最善の時機を定めておられる。私たちが思う「時」と、神の「時」は、しばしば異なる。神のタイミングは、神の栄光が最高に現される時だ。

 

私たちは、時に「今こそ」その時、と思うが、神のみ思いは更に高く、深い。ラザロが死に直面していた時、マルタとマリヤはどんなに主を待った事だろう。主なら病気をいやす事が可能だ。一刻も早くと、今か、今かと待ち続けた事だろう。しかし、主は動かれなかった。尚も二日もとどまられた。

 

そしてラザロの死を確認してから動かれた。主の御心は病気を治す事ではなく、ラザロをよみがえらせる事であった。「もう臭くなっておりましょう。四日になりますから」。墓に葬られた上、四日を経て、もう腐敗しているという、ダメ押しのもとで、主は奇跡をされ、ラザロをよみがえらされた。最も栄光が現される「時」であった。

 

あなたも、御心を確信して祈っているなら、答えが来る「時」がある。すでに聞かれていると信じ、神の時を待ち望もう。「万軍の主は誓って仰せられた。『必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する』」主の御心は必ず成就する。

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今だと思った時に事が成らなければがっくりと落胆するが、神のもとにへりくだり時を待つことを学ぼう。少しの無理もなく鮮やかに門が開く神の時が来る。ただ主の栄光に賛美をささげる時だ。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係