「しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下には いません」ガラテヤ5:18

私たちの古い性質は、御霊に従うことに抵抗し、逆らう。肉の願うところは、御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからだと言っている。だから自分のしたいと思う事が出来ない。サタンもそこに働いて攻撃して来る。主は「すべての事について感謝せよ」と言われる。

 

しかし肉は「なぜこの状況で感謝できるのか。できるわけがない」と否定する。「偽ってはならない」と主は言われ、肉は「この場合は少しの嘘がうまく行く。グレーにしおこう」と言う。主は「隣人を愛しなさい」と言われ、肉は「そんな事無理。嫌な人は愛せない」と言う。

 

主は「間違いをしたら、謝るように」と言われ、肉は「ごめんなさい、だけは絶対に言いたくない。良い行いでチャラにしよう」と思う。主は「自分で復讐するな」と言われ、肉は「報復したい、何倍にもして仕返ししたい」と思う。御心を示されると、肉は逆らい「したくない。肉は、御霊の導きと真逆に向かう。

 

主の御心と反対向きだ、主の栄光を損なって行く。御霊と肉に引っ張られ、身動き取れない状況だ。「御霊によって歩みなさい」が答えだ。歩んだ方が良いのでなく、歩めと命令形だ。自我は強く、まず御霊によって歩めない事を認めよう。

 

そして、自分ではどうにも出来ないので、主にゆだねて、助けを求めて祈ろう。主に自分自身を明け渡す時、御霊が自由に働かれ、自分が頑張るのでなく、助けられて、御心を行ってゆける。

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何とやろうと思えるようになってから祈ろうと、素直に御霊に従えない肉がある。出来ません、したくありません、出来るように助けてくださいと祈っていこう。弱いままの自分で主に頼ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係