「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります」ヨハネ15:4

日常生活で、どうだろう。相手から、批判や、悪口、悪い態度を向けられた時、どう対応するだろう。つい反応してしまい、反撃し、言い返したり、ムッと不機嫌な態度になる時がある。又、別の時には、穏やかに受け止める事ができ、悪を悪で返すのでなく、愛ある態度で対応することができる。

 

その違いは、多くの人が、心に「余裕」のある時は、そのようにできて、「余裕」が無い時は、イライラして、感情的反応をしてしまうと言う。誰しも経験あるだろうか。その「余裕」は御霊の潤いだ。

 

主は、わたしにとどまれと言われる。主も、私たちの中にとどまると。そうする時、私たちは多くの実を結ぶと。主にとどまっている事が大切だ。主にとどまるとは、日ごとに、主と交わりの生活をすることだ。主の御声を聞き、主に祈り、主と対話をする。それが祈りの生活だ。主との交わりの中にいる時は、心に「余裕」がある。

 

機械に潤滑油が切れたらどうだろう。ギシギシと、きしみ動きにくくなる。油をさすとなめらかに動く。主の御声に耳を傾け、いかに自分が主から愛されているかを知って行くことが大切だ。現実の生活を通して、実際に主の愛に触れて行く。

 

主の愛を知る時に心に喜びが来て、主を愛し、人を愛して行ける。主の愛に触れて行くと、心が満たされて、「余裕」ができ、人を愛さずにはおれなくなる。御霊の力だ。人を愛そうと頑張るのでなく、まず神の愛を知って行くことが大切だ。

 

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主にとどまること、主との交わりが途切れると、油が切れるように、心がギスギスする。イライラ、ピリピリ、平安の無い状態はサインだ。すぐに主のもとに行こう。主の霊に触れる時、生き返り、心に平安が戻る。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係