「五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた」マタイ25:16

タラントのたとえが出て来る。主人が、財産をしもべたちに預けて、旅に出る。五、二、一タラントを各々に預ける。五タラント預かった者は、「すぐに」行って、商売をして、更に五タラントもうけた。二タラントの者も、同様にして、二タラントもうけた。ところが一タラントの者は、地の中に隠して埋めた。

 

五タラント、二タラントもうけた者への、主人からのほめ言葉は全く同じだった。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたに沢山の物を任せよう」五と二、額は倍ほども違うのに、全く同じ賞賛だ。成果自体より、主人のために働きたい、主人を喜ばせたい、主人の期待に応えたい、主へのその思いが「すぐに」実行させた。

 

主人への愛がなせるわざだ。一タラントの者への叱責は、成果の問題でなく、何もしようとしなかった事による。「悪い怠け者のしもべ」と。主人を誤解していた。奪い、要求するだけの、恐い、過酷な主人だと。もし財産を失いでもしたら、どんなひどい目に会うか。そんな主人のために、何をしたいとも思わない。

 

しかしそうだろうか。極みまで私たちを愛し、独り子を私たちの身代わりに殺された。これ以上の何があるだろう。自分の欲でなく、この主人が望まれる事を求めて生きる時に初めて、自分自身に御霊の喜びが満ちる。「主人の喜びをともに喜んでくれ」。今、主から何か示されているだろうか。「すぐに」従おう。豊かな溢れる祝福が備えられている。

 

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労の報いとして、主人の喜びを下さり、共に喜べるとは、何と嬉しい事だろう。主のために労して、成果が出れば喜んでくださるし、懸命に働いて、仮に失敗したとしても赦して下さるお方だ。そして結果どうのより、何よりも「忠実」を見て下さっている。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係