「ヘロデは・・彼らに向かって演説を始めた。そこで民衆は、神の声だ。人間の声ではないと叫び続けた」使徒12:21

初代教会が、力強く前進していたところに、ヘロデ王が立ちはだかった。残虐非道な人物で、十二使徒の一人であるヤコブを殺害した。それがユダヤ人の気に入ったのを見て、人々に取り入るために、次にペテロを捕え、殺害しようとした。彼はすべては、トップである自分の思い通りになると軽く見ていた。

 

しかし、主が関与され、阻止された。4人一組の兵士4組の厳重な監視の中、御使いが現れ、鎖が解かれ、連れ出された。ペテロは救い出された。番兵たちを処刑したヘロデは、演説中に、自分に栄光を帰しているまっただ中で、主に打たれ息絶えた。

 

ヘロデは常に人々の歓心を買う事に夢中であった。権力と地位を用いて、したい放題に、自分の欲望の思うがままに振る舞った。人々から「神の声だ」と言われ、自分が誉めそやされる事に酔いしれ、自分に栄光を帰した。その結果、高慢ゆえに滅んでしまった。

 

私たちもヘロデから学ぶことができる。心の王座に、自分が君臨していないだろうか。それなら自分の思い通りに、欲望の命ずるままに行動してしまう。ペテロやパウロは人々から崇められ、慕われる時も、「栄光は主に」の立場を決して崩さなかった。彼らの信仰であった。

 

私たちはどうだろう。心の王座にいるのは、主だろうか、自分だろうか。人の目、評価が気になり、人に認められたい誘惑が絶えず来る。そのために生きてしまう。そんな自分を認め、主を仰ごう。気づく度に、御前に明け渡そう。栄光を主に帰する事も、主による事で、主の助けが臨む。

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主を愛することさえ自分のために、という者ではないだろうか。絶えず自分が王座に座っている。主の恵みによって新しく生きている者である事をいつも覚え、主に感謝し主に明け渡していきたい。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係