「殺してはならない。主に油そそがれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう」Ⅰサムエル26:9

サウル王は、ダビデを妬み、ずっとつけ狙っていた。そんな中、サウルはダビデの所在を知り、追って来た。それを知ったダビデは、夜にその陣営に向かった。するとサウルと将軍アブネルや兵士たちも皆、熟睡していた。今こそサウル反撃への、またとないチャンスだ。

 

部下が、主が敵を渡された、殺させて下さいと願ったが、ダビデは決して手を下さなかった。その理由は、サウルが「主に油を注がれた王」だからであった。しかし同時にダビデ殺害を狙うサウルの行動は、主の御心に反するものである事も知っていた。それについて「主は、必ず彼を打たれる」と信じたので、ダビデは裁きを全く主に委ねた。

 

決して自分で復讐しようとしなかった。そのしるしに、サウルの枕元にある槍と水差しを持ち帰った。「主が彼らを深い眠りに陥れられた」ので、皆が、眠りこけて全く気づかなかった。すべての事は主の主権の下にあり、主は眠りすら支配されている。

 

やがてサウルはダビデが二度までも、チャンスがありながら、自分を殺さなかった事実を知る。そのダビデを「わが子ダビデ。おまえに祝福があるように」とサウルはとうとう祝福した。人を憎み、呪う時、憎む本人が一番苦しい。

 

喜びも平安も無い。決して自分で復讐しようとせずに、どこまでも主に委ねて行くダビデの命を、主が堅く守られた。「復讐はわたしのする・・わたしが報いをする」と言われる主に、裁きを委ねよう。主に委ねることが平安の道だ。

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今だ、チャンスだと誘惑が来るが、それは主の御心にかなっている解決だろうか。自分の都合しか考えられない者だからこそ、主の主権の前にへりくだり主の時に委ねられるよう祈ろう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係