「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ」哀歌3:22

人は誰しも失敗する。ペテロは、主を否んでしまった。鶏の声を聞いた時、前に主に言われた言葉に思い至り、主を否んだ罪を自覚し、心底悔いた。悔いて、男泣きに泣いた。私たちは失敗する。弱さのゆえにどうしても失敗してしまう。失敗しない人はいない。

 

しかしそこで、罪を認め、悔い改めるなら、そこから成長して行ける。それで終わりなのではない。主のあわれみは尽きず、主は豊かに赦し、なおも、その事をも益として下さる。失敗を通して、私たちはへりくだらされる。へりくだらざるを得ない。高ぶっていることができない。

 

自分の愚かさに、ただただへりくだるのみだ。ある父親の証しだ。息子が非行に走り、傷害事件を起こし、警察沙汰となり、大変な事態になった。大きな衝撃だった。第一線でバリバリ働き、仕事への野心でいっぱいで、子どもは妻任せで、全く関わって来なかった。

 

又、形だけのクリスチャンだった。自分本位で、自分の事しか無かった。脳天を打ち砕かれた。涙と共に心から悔い改めた。賠償や謝罪に走り回った。妻にも息子にも詫びた。その時から息子の事しか頭に無かった。自分に出来る事は何でもした。

 

自分の罪であり、もう取り返しのつかない歳月に思えたが、主のあわれみは尽きず、主の赦しを受け取れた。罪を犯せば、もう一度、最初からやり直さなくてはならないが、やり直させて下さる主の恵みに、感謝でならなかった。もう一度やり直すことができる。どんな時にも、主にあって希望がある。

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幾つになってもやり直せる。遅すぎることがない。何という主のあわれみだろう。失敗の度にひねくれたり歪んでいくのではなく、低くされ、小さくされて主に頼りながら歩み続けられる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係