「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います」ヨハネ14:27

ある牧師の証しだ。突然の大震災の被害を受け、会堂も住まいも流されてしまった。とにかく身一つで逃げる事が出来て、自分も家族も一命を取りとめた。もう一瞬の事で、何一つ持ち出せず、避難所に身を寄せた。自分にとって何よりも重要で大切な聖書資料、これまでの学び資料、書物のすべてを失った。

 

ショックであり、何が何だかわからず、呆然状態だった。しかし何もかも失ったが、家族の命が守られた事は、大きな感謝だった。ひと息ついた時、この状況、自分の思いや感情の何もかもを祈りに持って行った。主と交わり、切に祈り続けた。その時に、御言葉が光が臨むごとくに与えられた。

 

「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」。御言葉の力を経験した。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう」、まさに「アーメン」だと思えた。すべてを失い、これから先も全くわからないが、心は不安が消えて、不思議な平安に包まれた。世のものではない、主の平安だった。

 

ある婦人は、夫の女性問題が起きて、痛み、苦しみ、悲しみ、心は引き裂かれるようで、涙、涙の日々だった。主に何もかもをゆだねて、拠りすがった。外側、嵐が荒れ狂っているが、不思議な「御翼の陰」を経験した。

 

まさに「ひとみのように見守り、御翼の陰にかくまって」下さった。気も狂いそうな状況の中、御翼の陰は、全き平安だったと。「主の平安」を味わい知らされたと。痛み、悲しみ、苦しみの時には、まず主のもとへ行こう。

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暴風に打たれるのはつらいが、計り知れない恵みの賜物を主から受け取っていく。経験者はみなそう証しされる。主のもとに行こう。自分中心が神中心に変えられる時、主の平安を受け取る。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係